日本大司法省計画

日本大司法省計画

大司法省計画と日本大司法省計画

一般的には、「大司法省計画」とは、法務省が2006年より日本司法支援センター(通称:法テラス)を設立し、弁護士会を法務省の事実上の傘下に置いたことによって、かつて司法省が弁護士会を行政の支配下に置いていた状態になぞらえて「大司法省計画」と呼ばれているものを示すが、本項では、法務省と最高裁判所及び最高裁判所人事局が「旧司法省復活計画」を企てているものを「日本大司法省計画」と呼称し、その内容を示唆するものとする。


概要

かつての司法省は、大東亜戦争終了後、日本国憲法および裁判所法の施行により、裁判所に対する司法行政権を最高裁判所に移管した後、司法省は廃止された。しかし、これと同時に司法省の官僚たちの多くは最高裁判所事務総局へ移籍し、今度は最高裁判所の内部から全ての裁判所と裁判官を支配・統制する形になった。このため、最高裁判所事務総局は建前こそ「最高裁判所の庶務を行う附属機関」とのみ定義されているものの、その実態は「司法省の戦後の再編成版」とも形容されるほどの強大な権力を持つ行政機関であり、最高裁判所事務総局は司法省から受け継いだ裁判官の人事権を巧妙に駆使して、行政の方針に批判的な内容の判決を書いた裁判官を下位の勤務地へ左遷したり、「裁判官会同」や「協議会」と称して全国の裁判官たちを召集し、「この事件の場合にはこういう判断が正しいのではないか」といった判決の書き方の模範答案を示すなど、現在も大日本帝国憲法下の司法省と変わらない裁判官たちへの干渉や思想統制を公然と続けている。このため、日本国憲法第76条の3に定める「裁判官の独立」は大日本帝国憲法の時代と何ら変わることなく有名無実のまま、現在に至っている。

一方、司法省官僚たちの中でも最高裁判所事務総局へ移籍せずに残った組は、戦後に法務省を設立し、こちらは日本国内の全ての検察庁と検察官を統制し続けている。また、法務省と最高裁判所事務総局は司法省の廃止後も判検交流と呼ばれる人事交流を行うなど、現在に至るまで互いに親密な関係を維持し続けている。

なお、上記にも示しているように弁護士会は戦後、日本国憲法の下における新たな弁護士法の施行に基づいて日本弁護士連合会を設立し、司法省からの独立を果たすことができた。しかし、法務省が2006年より日本司法支援センター(通称:法テラス)を設立し、弁護士会を法務省の事実上の傘下に置いたことによって、弁護士会が再び行政の支配下に置かれる危険性が指摘されている。このような法務省の政策は、かつて司法省が弁護士会を行政の支配下に置いていた状態になぞらえて「大司法省計画」とも呼ばれている。

諸外国には、司法省と呼ばれる官省が多数存在する。あるいは、外国における司法省は法務省と同じ意味を指すとも解釈できる。司法省および法務省の英名は、両者とも「Ministry of Justice」である。



判検交流の名の下「日本大司法省計画」は現在も進行中

判検交流(はんけんこうりゅう)とは、日本の裁判所や検察庁において、一定期間、裁判官が検察官になったり、検察官が裁判官になったりする人事交流制度のことである。

この制度が始まった経緯は、第二次世界大戦終結間もない頃、法務省に民事の専門家が不足していたことによる。しかし、この制度は具体的な法律に基づいて行われているものではなく、当初の法務省の人員不足の問題が解消された後も現在に至るまで惰性的に継続されているとされる。2000年代からは、毎年40人前後の裁判官が法務省の民事局や訴訟部門、検察庁などに出向している。逆に、検察官が裁判官になる場合もある。もともと、日本国内の全ての裁判所と裁判官を支配・統制している最高裁判所事務総局は、法務省と同じく戦前の司法省を母体として設立された司法行政機関であり、最高裁判所事務総局と法務省は設立当初から互いに親密な関係にあるため、この判検交流の制度は最高裁判所事務総局と法務省を再び一体化させるための好都合な政策として積極的に導入された一面もあると言える。
判検交流の効果として、検察官が裁判官になることによって検察官の仕事を客観的に見ることができるなどと説明されている。



問題点

法務省の訟務検事として国の代理人を務めた裁判官出身者が裁判所に戻って、国を相手取った賠償請求訴訟を担当するのは裁判の公正を損なうと日本弁護士連合会などから指摘されている。また、検察官と裁判官が密接になることによって捜査情報が漏洩しやすくなることも指摘されている。そのため、日本弁護士連合会などから判検交流の禁止を求める意見は強いが、現在の日本において判検交流は未だに完全な廃止が実現されていない。
問題点を改善するために、法務省は検事を弁護士事務所に派遣したり、企業で研修させたりする制度を開始し、弁護士や大学教授、臨床心理士を調査員などに登用するようになったと説明している。



規模の縮小

上記のような批判に対し、「誤解を生むような制度は続けるべきではない」との判断から、刑事裁判の部門における判検交流が2012年度から廃止されたとされている。しかし、民事裁判の部門における判検交流については規模を縮小するものの引き続き存続される方針であるという。



法務大臣閣議後記者会見の概要

平成24年5月8日(火)

本日の閣議において法務省案件はございませんでした。
 法務省から一つの報告をさせていただきます。裁判官が一時検察官をやってまた裁判所に戻る,あるいは検察官が一時裁判官をやってまた検察官に戻るという,いわゆる判検交流という人事交流がありました。これについて,特に判検交流によって裁判の公正が害されたということではありませんが,裁判官と検事の間で少し癒着しているのではないかというような声もありました。特にそういった弊害が生じたわけではありませんが,そういった声があることや公正らしさというものを保つ必要があるという観点もございますので,今年4月の人事をもちまして検察官と裁判官とのいわゆる判検交流は廃止しました。また,判検交流につきましては,これまで民主党の「検察のあり方検討ワーキングチーム」での提案や法務委員会において指摘されてきたことでもございますので,そうした声も受け止めたわけでございます。


判検交流の廃止に関する質疑について

【記者】
 廃止されたのは,裁判官が検察庁の検察官になったり,検察官が刑事事件の裁判官になったりするもので,民事とか行政分野については,人事交流が続いているという理解でよろしいでしょうか。
【大臣】
 そうです。検察庁で捜査・公判を担当することと,裁判所で裁判を担当するという意味での交流は廃止したということで,法務省の民事局等の行政分野につきましては,やはり裁判官のお力も借りなくてはならないという部分がありますので,それは継続しており,今回の廃止の対象ではありません。


裁判官と検察官の人事交流 廃止、縮小の動き加速 「なれ合い」指摘に配慮(産経新聞2012年5月4日)






  • 最終更新:2016-08-16 02:22:30

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